「捲土重来」 身近な名言・名句②
- Yokeian Koga
- 5月14日
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この「捲土重来(けんどじゅうらい)」の出典は、やはり中国唐代の詩人、杜牧(とぼく)の「烏江亭(うこうてい)に題す」と いう詩で、高校の教科書にもよく出ていますので、ご存じの方も多いと思いますが、この詩の意味を知るには漢の劉邦と、楚の項羽の戦い(紀元前二〇二年)を知らねばなりません。中国二五正史の第一「史記」には次のようにあります。
はじめ優勢を誇った項羽も、次第に劉邦に追い詰められ、四面楚歌の中を八百人ほどを従えて脱出しますが、その数もわずか二八騎となり、故郷の江東地方へ帰ろうと烏江の渡し場へやってきます。そこの亭長(駅長)は舟を既に用意しており、早く渡るようにと勧めますと、項羽は急に恥ずかしさを覚え、愛馬をその亭長に与えて、迫った敵と一戦を交えたあと、自ら首を刎ねて死にます。すると、懸賞金目当てに漢の兵がわっと押し寄せ、両手両足はもちろんのこと、耳をちぎり、鼻をももぎ取り、凄まじい奪い合いになったといいます。おぞましい限りです。この悲劇の英雄項羽(三一歳没)を哀れみ、同情して詠んだのが次の詩です。
題烏江亭 烏江亭(うこうてい)に題す
作者 杜牧(とぼく)(八〇三~八五二・晩唐)
勝敗兵家不可期
包羞忍恥是男児
江東子弟多豪俊
捲土重来未可知
勝敗兵家不可期
勝敗は兵家も 期す可からず
※兵家=兵法家
包羞忍恥是男児
羞を包み恥を忍ぶは 是れ男児
※是:…である 豪悛:豪傑
江東子弟多豪俊
江東の子弟は 豪俊多し
※江東:長江下流の南岸地帯
捲土重来未可知
捲土重来せば未だ知る可からず
※捲土:土煙を巻き上げることから、勢いの激しいこと
※重来:重ねて来る事
勝敗は、兵法家でも予期できないものである。たとえ一時敗れても、恥辱を耐え忍ぶのが真の男児ではないか。江東地方にはすぐれた若者が多い、(あのとき烏江を渡って、その若者達と力を貯え))砂塵を巻き起こす勢いで再び攻めて来たならば、結果は どうなっていたかわからないのになあ…。(惜しいことをした)
この詩をみるとき、「史記」の作者である「司馬遷」が、漢の武帝の逆鱗に触れ、宮刑(去勢する刑罰)に処せられ、屈辱に耐え忍びながら史記百三十巻の大著を完成させたことに思いを馳せずにはおられません。何事も命あっての物種、この詩は恥多き私を大変力づけてくれます。
古賀富治男

杜牧の「烏江亭に題す」について私見を述べます。 戦争になると絶対勝たねばという意識が働き、結果的に双方共多大な犠牲を強いられますが、人生では必ずしも勝たなくても、生きて努力し準備さえ怠らなければ回生の道は開けてくると思います。そこで、勝つことより人として生きることを選びたいです。杜牧も同じことを伝えたかったのではないでしょうか。
私は会社の出世競争には負けたという結果になりましたが、それで人生の真理というべき修養法を学ぶことに出会い、却ってよかったのではないかと自己判断しております。 私の尊敬する詩吟家の山田積善先生は、己の修養の為の詩吟という位置づけで名吟を残しておられ、識者から吟聖と賞せられていました。私はお会いしたことはございませんが、「烏江廟」という題でこの詩も吟じておられますので、ここにURLを添付いたします。 「烏江廟」 https://www.youtube.com/watch?v=XihjEFn7SVE