
岡田武彦 その哲学と陽明学
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日本人と簡素の精神
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岡田武彦先生 米寿記念講話『日本人と簡素の精神』
東洋の心を学ぶ会 平成7年(1995年)11月29日(水)
西日本新聞会館 14階会議室 講話 約50分
※冒頭の字幕 簡素の精神を「元」➡「基」に訂正
冬蔵の話の部分 PM 6:43:24「繁殖」➡「繁茂」に訂正

米寿記念講話「簡素の精神」
『易経』の火沢睽の説明をされているお姿
平成7年(1995)11月29日 西日本新聞会館

米寿記念講話「簡素の精神」
平成7年(1995)11月29日 西日本新聞会館
■ 講話全体の要点整理(箇条書き)
1. 日本人の「簡素の精神」とその世界観
・日本人は「簡素の精神」に基づく素晴らしい独自の世界観を持っている。
・伊勢神宮の神明造りはその象徴であり、ブルーノ・タウトが高く評価している。
・ブルーノ・タウトの影響で、日本人も自らの「簡素の精神」の価値に気づくようになった。
2. 西洋からの視点と再認識
・ドイツの哲学者オイゲン・ヘルゲルは、弓道を通じて日本精神を理解した。
・弓道の神わざは禅の精神に支えられており、西洋的技術伝達とは異なる。
・陽明学を学ぶ中で、宋・元・明代の文化が「簡素の精神」に通じていることを発見。
3. 陽明学と簡素の精神
・朱子学は哲学的・理論的に構築されるが、陽明学は「良知」に集約されている。
・修行は簡単であるほど生命力に溢れ、これを「易簡の学」と呼ぶ。
・日本文化も陽明学と同様に「簡素の精神」に帰着する。
4. 理論と実践の文化的差異
・中国は理論重視、日本は実践重視である。
・日本人は理論に弱いが、直感力に優れ体験的理解に長けている。
・西洋の弊害(自然破壊・人間疎外)を東洋文化で補おうとする動きがある。
5. 日本人の表現と精神性
・日本人は理屈を言わない「言挙げせぬ国」の国民性。
・精神性を深く内包し、表現は控えめ。
・奥ゆかしさや沈黙に美徳がある。(例:東京裁判での広田弘毅の無弁明)
6. 簡素とは何か
・「簡素」は「簡単で質素」な表現技術であり、精神そのものではない。
・表現を削ぎ落とすことで、内面の精神は高揚し、緊張感と奥行きを持つ。
・「簡素の精神」とは、表現の技術を通じて精神性を深化させる姿勢。
《具体的事例による説明》
7. 「蔵」の精神(隠す美)
・伊勢神宮は森の奥深くにあり、自らを隠す「蔵」の象徴。
・日本の家屋は奥まって建てられ、庭や垣根で自らを見せない。
・西洋や中国は天に向かって建つ(自らを主張する)構造。

豊受大神宮(外宮)にある風宮(かぜのみや)
風の神をお祭する別宮(べつぐう)で、元寇の時、神風を吹かせて日本をお守りになった神様です。
伊勢神宮は森の中に建立されています。

明治神宮隔雲亭
周りは木々に囲まれ庭の奥にひっそりと家屋がある

中国の広東省広州市にある六榕寺(りくようじ)の千仏塔(花塔)
空に向かって際立って建立されている。

神戸ムスリムモスク(神戸モスク)神戸中央区中山手通2-25-14
1935年(昭和10年)日本初のモスクとして神戸在住のトルコ人、タタール人、インド商人らの寄付によって建立された。
空に向かって聳え立っている印象を受ける。
8. 芭蕉の句に見る「蔵」
・「荒海や佐渡によこたふ天の川」:囚人の苦しみを直接書かずに奥に隠す。
・許六の句「ご命講や 頭の青き新比丘尼」は露骨で風韻がないと批判。
・表現を露骨にせず、奥に「蔵」することで深みを得る。
9. 陶磁器の変遷に見る簡素化
・唐代の「唐三彩」は華やか、宋代は白磁・青磁など簡素化。
・白磁は三彩の集約=飾りの極致を越えた「飾りなき美」。
・水墨画も五彩を含む墨の奥深さ。「蔵の青磁」という精神。
10. 「冬蔵」―精神の内蔵
・朱子の師・劉屏山が朱子に「元晦(げんかい)」という字を付けた由来に「冬蔵」の精神が
あります。劉屏山先生の字詞(祝詞)に「木根に晦うして春容曄き敷き、人身に晦うして神明内に腴ゆ」がある。
・冬に根を下ろし、春に花を咲かせる自然の姿に例える。
・静坐とは「冬蔵」そのもの。内面に神明を養うため。
《価値観と美意識の違い》
11. 「未完成の完成」を尊ぶ
・庭園や茶碗に見られる「わざと壊して継ぐ」文化。
・完成=充満を嫌う。隙間や不完全さに美が宿る。
・吉田兼好・千利休なども、未発の美を重んじた。
12. 相反の価値観(日本と西洋)
・清少納言の夕日、兼好の残花=不完全の美。
・西洋の充実と完成に対し、日本は余白と未完成を好む。
・文化的対比は「睽」の卦のように相反しつつ調和。
13. 飾りの極致と「白賁」
・『易経』の「賁」の卦における「白賁(はくひ)」=飾りのない飾り。
・飾りの極限に達すると「素」に回帰する。
・ピカソの晩年の絵は、子供の絵と見た目は似ても精神性が違う。
《総括:簡素の精神とは》
14. 「始め」と「終わり」を貫く簡素
・単なる初歩的な簡素ではなく、文化・文明を経た「回帰としての簡素」。
・表現を削ぎ落としつつ、生命力と精神性を宿す文化。
・これは日本文化の「高次元の簡素」であり、世界に対する大きな貢献となり得る。
15. 結び
・日本文化は「簡素の精神」に貫かれており、それは思想・芸術・生活全体に及ぶ。
・日本人は素晴らしい「簡素の精神」を今こそ意識すべきである。
・西洋と日本はあべこべでありながら、水平的に共存すべき関係。
・今後の文明のためにも、この「簡素の精神」の価値を見直すべき時である。
※『易経』の序卦伝、22番目の卦、山火賁について
山火賁(さんかひ) 賁(ひ) 艮上離下 自然調和で物を飾る 【飾る道】
賁は飾る、美しく飾る意になります。陰を上卦に艮(山)、下卦に離(火・太陽)があり、山が火(夕日)に照らされて美しく飾られている象です。陰陽がバランスよく交わり調和した状態を「飾」と言います。装飾が度を越して華美になると、バランスが崩れ実質が滅ぶ(虚飾)ことになります。
彖辞(卦辞)「賁(ひ)は亨(とお)る。小(すこ)しく往(ゆ)く攸(ところ)有(あ)るに利(よろ)し。」
賁は飾ることである。物事は適度に飾られることによって、スムーズに事が運ぶのである。

夕日が山を照らす

上九 無位の君子。白く賁る(白賁)。咎无し。質実簡素に戻る。
六五 天子。丘園に賁る。束帛戔戔たり。華美に飾る世を救う為に農業を薦める。吝なれど終吉。
六四 大臣。賁如たり皤如たり。白馬翰如たり。初九の賢人と共同で文飾過ぎる世を正す。
九三 大夫。賁如たり濡如たり。上下の陰爻に挟まれ美しく瑞々しく飾られている。永貞は吉。
六二 士。其の須(ひげ)を賁る。顎髭の様に九三と行動する。
初九 低位の賢人。其の趾を賁る。車に乗らず、分相応の対応をする。
※賁如(ひじょ):盛んに飾る、 濡如(じゅじょ):美しく瑞々しい、 皤如(はじょ):色が白い
翰如(かんじょ):白い色の形容、 束帛戔戔(そくはくせんせん):人に贈る絹が少ない
※『易経』の序卦伝、38番目の卦、火沢睽について
火沢睽(かたくけい) 睽(けい) 離上兌下 矛盾の対応 【背反応和の道】
睽は背反・反目の意で和合していないのである。上卦は離・火、下卦は兌・沢でそれぞれの性質は相反し、和合しない。人に例えると、上卦は離・中女、下卦は兌・少女で考え方が異なっており、背反するのである。これを解決するには時間をかけて内部を調うように努力し応和していくことが大切である。
彖辞 睽は小事には吉なり。
睽は背反することである。和合していないので大事はできないが小事は吉である。
火・日
離

沢
兌


上九 意思疎通を欠いた者。陰陽和合せよ。
六五 徳ある天子、九二に会い相談に行く。何の咎はない。
九四 孤立した大臣、初九に会いお互い真心が通ずる。危いけれど咎无し。
六三 初め上九を疑い、後和合する者。輿を後ろから引き戻され、前からも止められる。
九二 徳ある君子で賢人。主に巷に遇う。咎无し。正応だがお互い正位でない。
初九 正しき道を守る志ある者。悔い亡ぶ。馬を喪うも逐うこと勿れ、自ら復る。悪人を見れば咎无し。
ブルーノ・タウト(Bruno Taut, 1880年〜1938年)は、ドイツ出身の建築家・都市計画家・美術思想家で、モダニズム建築の先駆者の一人として知られています。
◆主な特徴と業績
・ガラス建築の提唱
1914年の「ガラス・パビリオン」は、透明性と光を活かした未来的な構造で、表現主義建築の象徴的作品となりました。
・集合住宅の革新
ワイマール時代のベルリンで、カラフルで機能的な集合住宅(ジードルング)を数多く設計し、社会住宅の模範を示しました。
・日本との関係
ナチスの迫害を逃れ、1933年に日本に招かれ、1936年まで滞在。桂離宮や伊勢神宮などの伝統建築を高く評価し、西洋に紹介しました。著書『ニッポン——日本建築への讃歌』は、欧米で日本建築再評価のきっかけとなりました。
・トルコでの晩年
その後トルコに渡り、1938年にイスタンブールで亡くなりました。
・日本滞在中、群馬県の伊香保の旧温泉旅館「太陽館」に住み、デザインにも関与。
・日本文化を深く尊重し、「桂離宮こそモダニズムの極致」とまで称えた。
オイゲン・ヘルゲル(Eugen Herrigel, 1884年–1955年)
国籍:ドイツ
職業:哲学者・大学教授
専門分野:西洋哲学(特にカント哲学)、後に日本の禅に関心を持つ
主な業績
著書『弓と禅』(Zen in der Kunst des Bogenschießens, 1948)
ヘルゲルが日本滞在中(1924年~1929年)に学んだ弓道(師:阿波研造)と、そこから得た「禅の体験」を記録した名著。
弓道を通して、無我・直感・自己超越といった禅の本質に迫ろうとした。
この本は戦後ヨーロッパやアメリカで禅ブームのきっかけの一つとなった。
評価と議論
ヘルゲルの著書は、西洋における「禅」理解の入口として大きな影響を与えた。
ただし、日本側からは「禅や弓道の本質を誤解している」との批判もあり、現代では批判的再評価が進んでいる。
広田弘毅(ひろた こうき)は、東京裁判(極東国際軍事裁判)において 文官として唯一、死刑判決を受けて処刑された人物です。以下に簡潔にまとめます。
広田弘毅(1878年〜1948年)、出身:福岡県、職業:外交官・政治家
役職歴:外務大臣 第32代内閣総理大臣(1936〜1937年)
東京裁判での位置づけ:
裁判では、主に「平和に対する罪(侵略戦争の計画・遂行)」などで起訴されました。
特に彼が総理大臣や外相であった時期に、日本の侵略政策が進行したとされ、その責任を問われました。
自ら積極的に戦争を主導したという証拠は少なかったものの、軍部の暴走を止めなかった「不作為の責任」が問われました。
判決とその後:
1948年、死刑判決を受け、同年12月に絞首刑が執行されました。
裁判では一貫して冷静で一切弁明せず威厳ある態度をとったとされ、死刑判決には内外で異論もありました。
評価:
広田の死刑には、「軍人ではない文民であるにもかかわらず不当に重い」とする見方があります。
一方で、「政府首脳として戦争を止める責任を果たさなかった」という指摘も根強くあります。
簡素の精神・俳句の事例
岡田武彦先生の『簡素の精神』における俳句の要約
1.俳句の本質
・俳句は五・七・五の十七音からなる世界最短の詩形で、日本独特の文芸形式。
・表現を極限まで簡潔にしながら、深い余情と暗示を内包する。
2.俳句の発展
・起源は古今集時代。江戸期に貞門派・談林派を経て、芭蕉が高い芸術性を確立。
・芭蕉は「わび・さび・幽玄」の美意識を俳諧に持ち込み、精神性を高めた。
・蕪村は抒情性を、子規は写実性を導入し、俳句を国民的詩へと発展させた。
3.技法上の特徴
・切れ字:意味を断ち、余情を生む(例:「や」「かな」)。
・季語:四季を象徴し、自然との一体感を表現。
・この二つにより、簡素ながら豊かな情感を伝える。
4.簡素の精神と俳句
・短い表現でありながら奥行きある風景や感情を伝えることができる。
・露骨な表現は避け、抑制と含蓄を重視する。
・俳句は「言簡にして意足る」詩であり、簡素の精神の極致を示す。
私の母から教えてもらった俳句の心
・自分の心に兆したもの
・ときめいたもの
・はっと思うこと
・心優しきとき
・慎ましくあるとき
・現実にあるとき
・現実にあったもの
・嬉しきこと
・悲しみ
・匂い
・さらりと
・驚き
・思ったもの
・偲びごと
・思い出
父の入選俳句集より。
両親は俳句同人誌である「いそな」「ほととぎす」「黄鐘」「田鶴」「円虹」に投稿しておりました。写真は私のイメージです。
ものの芽の
力強さに励まされ

夏草の根強き力
また伸びて

田鶴二百号記念俳句大会にて入選
姫路商工会議所にて大句会
昭和六十一年八月十七日
雪解けの水滴映る硝子窓
雨戸引く我が手とゞめしホトトギス
白壁に貼り付き眠る蜻蛉かな
鈴虫の羽まろやかに震わせて
時折は妻の日傘の影を借り
病臥して早二十日目や子規忌かな
指のトゲ確か昨日の栗のもの
出棺の刻に小春の崩れ帰し
病む妻に塩加減聞き菜漬かな
長男に嫁とる話去年今年
懐かしき川の水汲み墓参り
受け取りし児の柔肌の汗ばみを
コスモスの色まぜ合わす風時に
転勤の子と孫送る暮れの秋
春眠を破る訃報の電話受く
教えても児にはまだ無理草笛は
冬虹に別れを告げて
逝かれしと

俳人 円虹 発行兼編集人 山田弘子先生より
俳句の弔電をいただく。平成九年十二月
母の入選俳句集より。
人佇てば
鯉の寄りくる四温かな

好古園・俳句投句月間 優秀作品展入選句
平成十二年一月
落葉踏み
偲ぶ心の尽きざりし

紅葉の美しい季節も終わり、もう十二月、早いものでございます。先日の句会に参りました時に、公園の美しい落葉を踏みながらふと亡夫が元気だった頃を思い出して毎年紅葉の頃、二人でよく公園に来て散歩し、句を作ったものでした。主人が「人間もこの小春のような余生を送りたいものだなあ」と言ったことがありました。今まで苦楽を共にして来た二人にとって、これからの余生は俳句に専念したいと話しました。
二人の息子もそれぞれ結婚し、孫も出来、心もほっとした頃でした。せめて金婚式まで元気で過ごすことができれば有難いことだと話しておりました。人生先の事は本当にわからないものでございます。そのあくる年、主人が思いもよらぬ交通事故に遭い、入退院の繰り返しを三年間闘病生活に耐えながら、公園で話し合った事が実現出来ず、この世を惜しみながら還らぬ人となってしまいました。先生の選に入りました「落葉踏み偲ぶ心の尽きざりし」がふと頭に浮かんで参りました。帰りには供養にと思い、美しい紅葉を三枚拾って遺影に語り乍ら供えました。
母が遺した俳句と思いを綴った文です。