top of page

検索結果

Search this site

空の検索で28件の結果が見つかりました。

  • 日本文化は『簡素の精神』

    日本文化は「簡素の精神」です。 九州大学名誉教授、儒学者・陽明学者・哲学者・著作者の岡田武彦先生が著書『簡素の精神』致知出版社にまとめてくださっています。 「日常の生活用具や料理から、和歌、絵画、武道、宗教に至るまで、日本文化に共通する「簡素の精神」を検証し、日本の伝統への覚醒を促す書。」 Amazonより解説 ご一読ください。

  • 崇物の三輪の神山 雲湧けり

    岡田武彦先生の『崇物論―日本的思考―』と三輪山    奈良・桜井の地に聳える三輪山。この山を前にしたとき、私は岡田武彦先生が晩年に説かれた「崇物(すうぶつ)」という思想を思い出しました。  岡田武彦先生は、晩年の著書『崇物論―日本的思考―』において、人間だけを中心に考えるのではなく、人を敬い、物を敬い、自然を敬い、天地万物と共に生きることを日本的思考の根底に据えました。「崇物」とは、単に物質としての「物」を大切にするという意味ではありません。人間も自然も含め、天地の間に存在するものを尊び、その生命や存在に対して敬虔な心を持つことです。岡田先生は「敬虔の心こそが万物を一体とする」と説き、「人と共に悲しみ、人と共に喜ぶ。そして自然と共に生きる」という方向に崇物の思想を展開されました。(岡田武彦 その哲学と陽明学)  この「崇物」という思想を象徴する場所の一つが、私には三輪山のように思われます。三輪山は古来、大物主大神が鎮まる神聖な山として崇敬されてきました。大神神社では、一般的な神社のように本殿の建物の中に神を祀るのではなく、三輪山そのものを御神体として拝します。山に神が宿るというより、山そのものを神聖な存在として仰ぐ、日本古来の原初的な神祀りの姿を今日まで伝えています。(大和国一之宮 三輪明神 大神神社(おおみわじんじゃ)) ここには、人間と自然を切り離して考えない日本人の精神が表れています。  山を征服するのではなく、山を仰ぐ。自然を利用するだけではなく、自然を敬う。万物を人間のための手段として見るのではなく、その存在そのものを尊ぶ。それが、岡田先生のいう「崇物」の精神と深く響き合います。  三輪山を仰いでいると、山の稜線から白い雲が次々と湧き上がってきました。その光景は、山が静かに呼吸し、天地の生命が目の前に現れてくるかのようでした。 そこで生まれたのが、 「崇物の 三輪の神山 雲湧けり」 という一句です。  「崇物」は岡田武彦先生の思想を、「三輪の神山」は日本古来の自然崇敬を、そして「雲湧けり」は、今まさに目の前で動いている天地自然の生命を表しました。 人間と自然は別々に存在しているのではない。山も、雲も、人も、天地の大きな生命の中にある。 三輪山を仰ぎながら、岡田武彦先生が晩年に到達された「崇物」 天地万物を敬い、万物と共に生きる思想を、あらためて実感しました。 この俳句には、そのとき私が感じた岡田武彦先生の思想と、日本古来の三輪山信仰との響き合いを込めています。 (岡田武彦 その哲学と陽明学) 大神神社

  • 崇物の山、三輪山

    三輪山(標高467m)は、古来より大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が鎮まる神奈備(かんなび)の山として崇敬されてきました。  『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)・美和山・三諸岳などの名で記され、日本最古の信仰の山として今日まで深い尊崇を集めています。  山そのものを御神体とするため、大神神社には本殿がありません。拝殿から三輪山を直接拝するという古代の祭祀の姿を今に伝え、日本における最も古い神祀りの形を受け継いでいます。  三輪山には松・杉・檜などの大樹が生い茂り、一木一草に至るまで神が宿るものとして大切に守られてきました。また、山中の磐座(いわくら)は神霊の鎮まる聖地として崇められています。  岡田武彦先生が説かれた「崇物(すうぶつ)」とは、自然や万物を支配の対象とするのではなく、その尊厳を敬い、共に生きる精神であります。三輪山は、まさにその思想を象徴する山といえるでしょう。  天地万物に神性を見いだし、自然への畏敬の念をもって生きることこそ、日本文化の原点であります。三輪山は、その崇物の精神を今日に伝える、日本人の心のふるさとともいうべき聖なる山であります。

  • 王陽明の立志

    岡田武彦先生の著書、岡田武彦全集『王陽明全集抄評釈』から王陽明の『立志』について、私なりに理解し、イメージに落とし込みました。 王陽明の立志

  • 仁寿山と麻生山は岡田武彦先生の故郷のシンボル

    岡田武彦先生からいただいたお手紙には、「仁寿山と麻生山は故郷のシンボルである」と記されていました。 ​  岡田先生は、この山々に登り、播磨灘や空に浮かぶ雲、そして西池を眺めながら、青春時代の多感で悩み多い日々を過ごされたのではないかと思うと、胸が熱くなります。 詳細はHOMEの「仁寿山と麻生山は岡田先生の故郷のシンボル」参照してください。

  • 岡田武彦先生と小赤壁の海の俳句

    岡田武彦先生が小赤壁の下の龍神が棲むような、青い海で泳がれているイメージで一句詠みました。 夏至の浜 小赤壁や 波青し

  • 〈考察〉小泉八雲 ー「見えないもの」を感じた日本人の心

    1. 異国の文学者とその生い立ち  小泉八雲(ラフカディオ・ハーン/Lafcadio Hearn, 1850–1904)は、ギリシャのレフカダ島に生まれ、アイルランド、アメリカを経て日本に渡った作家です。幼くして精神を病んだ母と生別し、父は旧愛人と再婚してインドへ赴任してしまいました。残された八雲は大叔母のもとで育ち、厳格なカトリック教育を受けながら孤独な少年時代を送ります。  さらに彼は、十代の初めに事故で左目を失明し、以後、生涯片目で生きることになりました。この出来事は、肉体的な不自由だけでなく、幼い心に深い影を落とし、「外界から疎外されている」という感覚をいっそう強めたと言われています。人に見られることを避け、光よりも陰を好むようになった性質は、この体験と無縁ではありません。  しかし、視力を失った左目の代わりに、八雲は“内なる視線”を研ぎ澄ませていきます。目に見えないもの、言葉にならない情感、物や自然の奥に潜む気配。後年、日本文化の中に深い共鳴を覚えた感受性の基層には、この若き日の喪失と静かな鍛錬があったと考えられます。  孤独・失明・流浪という背景は、八雲に“異邦人として世界を見る眼”を与え、のちに日本で出会う「見えないものを敬う心」への大きな共感となって開花していきました。  1890年、39歳で来日した八雲は、島根県松江に英語教師として赴任します。そこで出会った日本の文化、風土、人々の温かさに大きな感銘を受けました。日本の家庭の静けさ、神仏を敬う素朴な姿、季節の行事の中に宿る「見えないものを大切にする心」ー 八雲はそこに、故郷では得られなかった深い安らぎを感じ取ったのです。 2. 八雲が見た“心の日本”  八雲が最も心を動かされたのは、日本人が「形のないもの」を信じ、敬い、共に生きている文化でした。仏壇に手を合わせる姿、古い道具を大切に使う所作、山や木を神として祀る信仰。彼はこう書いています。 「日本人は、見えぬものに心を寄せ、形なきものの中に魂を感じる。」(『知られぬ日本の面影』より) 日本文化は「感じる文化」である。 八雲は、理屈ではなく“心”で世界を受け止める日本人の生き方に深く共鳴しました。この発見こそ、彼の思想の核でした。 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は日本文化を五感で受け止め、日本人の立場になって考える人でした。 宍道湖の夕日 「八雲」という名に込めた思い   帰化後に名乗った「八雲」は、『古事記』の出雲の枕詞「八雲立つ」から取ったものです。松江=出雲の地で出会った“神と自然、人とものが共にある暮らし”への感謝が、この名に込められています。 小泉八雲の言葉 『神道の神髄は書物や儀式や戒律の中にあるものではない、むしろ国民の心の中に生きているものであり、未来永劫滅びることも古びることもない、最高の信仰の表れなのである』 『風変わりな迷信や、素朴な神話や、奇怪な呪術のずっと根底に、民族の魂とも言える強力な精神がこんこんと脈打っているのである』 『日本人の美意識も芸術の才も、剛勇の熱さも、忠誠の厚さも 信仰の感情も、すべてがその魂の中に代々受け継がれ、はてには無意識の 本能の域にまで至っているのである』 出雲大社・大国主大神の像(むすびの御神像)2011.4 3. 八雲の思想背景 ― 仏教・神道・儒教・崇物   私は、八雲の精神を、単なる感性や美意識のあらわれとしてではなく、深い思想と宗教的理解に支えられたものだと考えています。そこには、仏教・神道・儒教という三つの宗教、そして日本独自の「崇物(すうぶつ)」の心が、静かに響き合っているように思います。 仏教は、「すべての存在に仏性が宿る」という慈悲の教えを通して、ものにも魂を見いだす心を育てます。 神道は、山や木、岩や風といった自然の一つひとつに神を見出し、自然とともに生きる清らかな感性を養います。 儒教は、「敬(けい)」の心をもって人や物に接し、人と社会の調和を保つ道を示します。 崇物は、物を大切にし、崇(あが)め敬う心のことです。「崇物とは、人や自然、あらゆるものを天理のあらわれとして尊び、共に生きる日本人の心」です。つまり、物を単なる対象や道具として見るのではなく、そこに生命と理(ことわり・摂理)を感じ取り、謙虚に向き合う姿勢です。 この「崇物」の考え方が加わることで、仏教・神道・儒教の精神がそれぞれを補い合い、より深く、調和のとれた思想として結びついていくのだと思います。 私にとって、八雲の精神とは、 仏教の慈悲(すべてを包み込む心) 神道の清浄(自然とものへの感謝と畏れ) 儒教の敬(人や物に対する礼と節度) 崇物の心(人・自然・物を共に敬い生きる意識) これらが一つに融け合い、「もの・人・自然とともに在る」生き方として形づくられたものだと感じています。 ―崇物 ・神道 ・儒教・仏教― 写真:崇物・神道・儒教・仏教を示す図版 4. 八雲が伝えた「心の哲学」   八雲の作品を貫く主題は、「心」であり、「敬」であり、「共生」です。『心(Kokoro)』では、「日本の美とは、自己を抑えて他を思う心の美である」と記しました。日本の心は、他者・自然・ものにまで広がる優しさと謙虚さの文化なのです。 5. 結びに  小泉八雲が日本に惹かれたのは、単なる文化や風景ではありません。彼が愛したのは、見えないものを敬う日本人の心でした。それは、仏教の慈悲、神道の清浄、儒教の敬、崇物の畏敬に支えられていたと私は考えています。そして、岡田武彦先生が説かれた『簡素の精神』 『崇物論-日本的思考』 と響き合い、静けさの中に豊かさを見出す生き方として今も息づいています。「ものを敬い、人を思いやり、自然に感謝して生きる」――これこそが、八雲が見つめた“心の国ニッポン”の姿なのです。  さらに、八雲の「怪談」には、彼の個人的な心の影も映し出されています。幼くして別れた母への思慕、そして彼を見捨てた父への許しがたい思い。その深い情念が、『水飴を買う女』や『子捨ての話』といった作品に昇華されています。 小泉八雲旧居・島根県松江市北堀町315 松江市の堀川めぐり(堀川遊覧船)の広告 2011.4 明治27年(1894)44歳の時に現代の神戸労働会館の地に居住 2015.12 上野の国際こども図書館にある小泉八雲記念碑 松江 カラコロ広場の小泉八雲のレリーフ

  • 人間の本性と儒教について

    儒教は、人倫道徳を根本とする修己治人を説いています。「分かち合うヒト」すなわち社会生活ができるのは、人間が本来、わがことばかりでなく常に他人のことを思いやる心があるからです。すなわち、人倫道徳性を持つからであり、これを人間の本性として述べたのが儒者です。儒教は人倫道徳を根本とする修己治人を説いています。その修己治人を明らかにしたのが『大学』で、正心、誠意、致知、格物、修身、斉家、治国、平天下の八条目の教えになります。しかし、人間の特異性は人倫道徳的本性ばかりではありません。このことは、中国の古代思想とその歴史を見るならば容易に知ることができます。  人間の特性を中国の古代思想とその歴史から見ると下記の様な分類となります。これらは、いずれも根深い人間性の表現であるといわなければなりません。   ⑴現実主義 ―功利的人間観に基づく。  人間は先ず己れの利を求める功利的な存在です。そこで現実主義の観方をする思想家は、人間の功利主義が如何に根強く切実なものであるかを洞察し、それに対処する道を説きました。孫子などの兵法家、韓非子などの法家、縦横家(外交家)がそれになります。   ⑵超越主義 ―宗教的人間観に基づく。  人間は本来宗教性を持っているという宗教的人間観に基づく超越主義思想も現れました。すなわち、人間は相対的な存在であって様々な矛盾・葛藤・苦悩から逃れ得ない運命を背負っており、人間以上の超越的なものへの随順によってのみ運命の束縛から離脱し安楽な絶対界に安住することができるとして、一切の人為を否定し天の無為自然に因循することを求めました。老子、荘子などの道家、中国化された仏教がそれになります。   ⑶理想主義 ―道義的人間観に基づく。  一方、現実の人間は確かに功利的で人と人との共同生活には様々な矛盾・葛藤などを伴うけれども、人間は本来道徳的であり、お互いに情義(人情と義理)によって結ばれていると道義的人間観に基づく理想主義思想が生まれました。孔子、孟子、朱子、王陽明などの儒家がそれになります。   ⑷芸術主義 ―審美的人間観に基づく。 ※ 3.岡田武彦 著 『崇物論 -日本的思考―』 自家制作・発行 2003.8  37頁 7.人間の本性と儒教について要約

  • 朱子白鹿洞書院掲示

    岡山県にある興譲館高等学校は「朱子白鹿洞書院掲示」が建学の精神となっています。姫路藩の仁寿山校の郷学を調査している時に偶然見つけた映像です。感動しました。 「興譲館学校紹介映像 YouTube説明文 1853年(嘉永6年)創立。地域の郷校として160年近い歴史を刻んできた私立高校。「伝統の品格」をテーマに伝承の校訓「白鹿洞書院掲示」の教えの理解と実践に挑戦しています。近年、急激な少子化、私学助成金の削減により過疎部私学への逆風が強まっていますが、生徒達は「論語」「人間学」などの学びによって質の高い「文武両道」をめざし、素直で謙虚で誠実な生徒達が輝きを放つようになってきました。」 私の詳細解説  この「白鹿洞書院掲示」に書かれているのは、学問を志す者が、肝に銘じておかなければいけない「学問の重要点」が書かれています。儒教は「修己治人」の学問であり、その学問をどのように学んだらよいか、わかりやすく示されています。朱子は規則を好まず、自己を律することを尊重しており掲示としたようです。碑の主要なところを抜粋しました。 「父子に親あり、君臣に義あり、夫婦に別あり、長幼に序あり、朋友に信あり※2。       博く学び、審かに問い、慎んで思い、明らかに弁じ、篤く行う※3。        言は忠信であること、行いは篤敬であること※4。忿りを懲らし慾を窒ぐこと※5、善に遷って過ちを改めること※6。 ​右は身を修むるの要なり。 その義を正してその利を謀らず。その道を明らかにしてその功を計らないこと※7。 右が事柄に対処する要である。 自分がそうして欲しくないことは、人にしてはならい。※8。実行してうまくゆかぬときは、わが身に振り返って反省すること※9。 ​右が人と応対する要である。」 ※1 朱子が制定した学生心得。朱子は外から規制する学規を嫌い、掲示としました。 朱子が白鹿洞掲示碑にピックアップした出典書物 ※2 『孟子』、※3『中庸』、※4『論語』、※5『易経』損卦、※6『易経』益卦、※7『漢書』、※8『論語』、※9『孟子』 出典:三浦国雄 著『人類の知的遺産 19 朱子』講談社 1979年  抜粋引用:325頁~327頁 白鹿洞書院掲示 ​​​朱子は四書五経や漢書から重要な点をピックアップして説いています。 朱子は当時、多くの人がそうであった功利主義の人が目指す科挙(国の試験制度)を嫌いました。「民と共にある」人間をつくる学問を目指しました。河合寸翁や仁寿山校で講義を行った頼山陽もそのような志の人間を養成したかったと思います。

  • 小学校の校庭に佇む二宮金次郎の像

    『易経』の風山漸䷴(積少為大)の卦と地風升䷭(積少高大)の卦を見ると、二宮金次郎を思い出します。彼の思想を一言で言うと積小為大(せきしょういだい)です。つまり、「小を積んで大を致すは自然の道なり」が、彼が大自然から学んだ思想です。『易経』の風山漸は焦らず徐々に進む意となり、小さな木が時間を掛けて大きく成長する姿です。そして、地風升は従順、謙虚に焦ることなく光を求めて進み升ることは正しい道と説いています。これらの卦は彼の思想と一致します。私は農業を通じて陽明学を実行した人は二宮金次郎であると思っています。 ◆全国にある小学校の二宮金次郎の像  彼は何を読み、広げているページには何が彫られているのでしょうか。私が小学校の時代には、二宮金次郎の像は全国の小学校に在りました。最近では歩きながら読むのは危険であるから坐った二宮金次郎の像があったり、価値観の違いから無くなったりしているところもあると聞いています。彼が読んでいるのは中国古典で有名な四書五経の中の『大学』です。読んでいるページには下記の内容が彫られています。未来を担う子供たちに伝えてあげたいです。 「一家仁、一國興仁、一家讓、一國興讓、一人貪戻、一國作亂。其機如此。」 家の皆が思いやりの心を持てば、 国中の人々が思いやりの心を持つようになる 一家の皆が謙譲の気持ちを持てば、 国中の人々が謙譲の心を持つようになる 君主一人が貪欲であれば、民も倣って貪欲になり 国は乱れてしまう。重要な点は、この通りである。 ※「大学」:紀元前430年頃の儒学の政治哲学と学問の書。自己修養と家庭、国、天下の平和を追求します。 身を修め、家庭をととのえ、国を治め、天下を平和に導く大学の道は、天から与えられた良知を明らかにする。つまり、万物一体の仁の根本を立て、万物一体の仁をあまねく及ぼして民を親愛して最高善の境地、つまり良知に踏み止まることである。 三綱領 一、大學の道は明徳を明らかにするに在り。 修身斎家治国平定下の道は良知を明らかにする。 二、民に親しむに在り。 万物一体の仁の根本を立て、民を親愛する。(区別しない共生の仁) 三、至善に止するに在り。 良知に踏み止まること。 姫路市白浜小学校の二宮金次郎の像と相撲場 二宮金次郎の像は、日本国内に戦前からありましたが、戦後、造像会社がコンクリートで二宮金次郎を製造し、全国の小学校にセールスを行って販売拡大を図った歴史があります。文部省が推進したのではないそうです。白浜小学校の二宮金次郎さんは老朽化により像の根元より落下したらしく、現在は撤去されています。現在は再建の予定は無いそうです。寂しく感じられますが彼が読んでいた『大学』の一節は不変です。

bottom of page