
岡田武彦 その哲学と陽明学
© Okada Takehiko-Youmeigaku
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学ぶ会・書院

「東洋の心を学ぶ会」
「東洋の心を学ぶ会」は平成元年(1989)9月に、月1回の例会で発足しました。岡田先生は昭和40年代から十数年間にわたり「東洋思想講座」という会で、『王陽明文集』『論語』『佐藤一斎 言志録』『礼記』『孟子』『王陽明傳習録』と講義をされていました。しかし、会の世話人が高齢でお世話が出来なくなり、惜しくも閉会となったため、その精神を受け継いで、会名を改めて新発足したのが「東洋の心を学ぶ会」です。それゆえ、テキストは「東洋思想講座」で完読に至らなかった『佐藤一斎欄外書付 王陽明傳習録』(松雲堂発行)を引き継ぎ使用し、新会員も多く居たため、岡田先生は伝習録の成り立ちから講義を始められました。講義はテキスト一辺倒ではなく、伝習録に出てくる人物に関しても深く立ち入って話しをされ、伝習録の講読はなかなか進まないものの、それがまた我々の理解力も深める〝楽しみ〟でもありました。また時には伝習録を休み、自説の「簡素の精神」「身学説」「兀坐説」「崇物論」などの話しもしていただきました。これらは純日本的な考えながら、王陽明「心学」と一致するところがあるように思われました。
「東洋の心を学ぶ会」の噂は、その道を求める人達にたちまち広まり、九州外からも山形県、千葉県、東京、横浜、名古屋、大阪、山口などから出席される方もおられ、岡田武彦先生が慕われる人格と徳の深さが、あらためて窺われました。
講義の後には懇親会に移り、講師の岡田先生を囲んでワイワイガヤガヤやるのが常で、岡田先生も、終始にこにこと笑顔で参加された方と話すのが好きだったようで、懇親会を楽しみにして会に来られる人も多かったようです。 このように岡田先生は堅物の学者ではなく、墨書を楽しみ、お酒を飲んでは、会の皆様と分け隔てなく話され楽しむ方でした。ここに慕われる所以があったのだと思います。

米寿記念講話「簡素の精神」
平成7年(1995)11月 西日本新聞会館

米寿記念講話「簡素の精神」
『易経』の火沢睽の説明をされているお姿
平成7年(1995)11月 西日本新聞会館

「王陽明の生涯と思想」第13回
平成15年(2003)5月 警固神社神徳殿

「東洋の心を学ぶ会」で講義中の岡田武彦先生
平成14年(2002)3月27日 福岡市中央市民センター
◆東洋の心を学ぶ会 歴代会長
初 代 哉尾 弘一
第二代 三苫 盛人
第三代 森山 文彦
岡田武彦先生の講義
九州大学名誉教授 岡田武彦先生85歳時の元気なお姿。
平成6年(1994)1月26日、第43回「東洋の心を学ぶ会」(福岡)での『王陽明伝習録・下巻』の講義。講義前に1分間ほどの兀坐(こつざ)の映像があります。
テキストは、松雲書院発行『王陽明傳習録 - 附佐藤一斎欄外書』(206頁~208頁)を使用しています。
1998/8/29夏季講座
九州大学名誉教授 岡田武彦先生89歳時の「東洋の心を学ぶ会」夏期講座の一部です。場所は、福岡県秋月の「生々精舎」。逆光線で映像が不鮮明、空調の雑音で聴きづらいなど、不備な点はご容赦ください。
1995/11/29九州大学名誉教授 岡田武彦先生は、西洋にも中国に見られない日本人特有の「簡素の精神」を、世界に誇れる民族性としていろいろの礼を挙げてお話しされました。簡素とは簡単・質素なことだが、その中には、飾りたてたものとか複雑なものより高い精神性が宿っていることを強調されています。岡田先生はこの年数えの88歳で米寿に当たられるが、なお矍鑠(かくしゃく)としておられることが映像を見ればわかります。先生はこの「簡素の精神」を説くことを生涯のテーマとされ、平成10年8月には致知出版社より名著『簡素の精神』を発行されました。
東洋の心100回記念講和で、岡田武彦先生、満90歳時のご講義になります。
楚の屈原にも似て、国を憂ひ節に殉じた思想家高忠憲と劉念台。今の乱れた世にこのような高潔の士はいるのだろうか。岡田先生のお話を聴くと、己の心構えの不確かさが露呈してしまいます。
1995/6/28東洋の心を学ぶ会」では、毎回先生のお話が始まる前に5~10分間ほど、全員兀坐(こつざ)をして心を鎮めるのが慣例です。兀坐とは静座や坐禅に似て、何ごとにもとらわれず静かに座って心を鎮め、私利私欲のない心を養い実社会に生かすことを目的としています。実際には30分くらいは続けねばならないが、時間の関係で毎回まねごと程度で切り上げています
1998/9/29 岡田先生は「兀坐説」の前に「身学説」を述べて身を培(やしな)うことの要を説かれましたが、その方法として「兀坐説」を述べ、万物一体の思想を説かれました。先生は平成16年(2004)10月に物故され今年で20年になります。冒頭に先生の肖像を掲げ追悼の意を表しました。

世話人会 後列左から2番目が岡田武彦先生
「簡素書院」
書院とは、東アジアに存在した伝統的学校のことで、日本では寺子屋、塾、郷校、藩校などとも呼ばれました。「簡素書院」は、福岡市中央区に位置する鬼丸ビルの一室(山下亨所有)を借り、書院教育による人格の陶冶と古典の学習を目指し、難波征男発起人代表を運営委員長として、平成11年(1999)7月25日に立ち上げられ4年 2ヵ月間続きました。しかしながら、岡田武彦書院長の高齢化も加わり、平成15年(2003)9月の36回を以て閉院となりました。
