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姫路藩主、酒井忠以の胸像と茶筅塚

  • 執筆者の写真: synchronicity64
    synchronicity64
  • 6月25日
  • 読了時間: 1分

 姫路神社境内に姫路藩主、酒井忠以(ただざね)の胸像と茶筅塚があります。二代目城主酒井忠以(号宗雅:そうが・1755~1790)は、将軍の補佐役として最も重要な地位にありました。藩政においては、他藩と同じく財政の危機的状況にありながら、領民や家臣を慈しんで善政を行いました。後に藩財政を立て直した河合寸翁を見いだして登用した藩主です。宗雅は、文芸をこよなく愛する風雅の藩主で天性芸術的な才能に恵まれていました。宗雅は文芸を愛し、書画や俳句、和歌、能、鍛刀、絵画などの才能を持ち、特に茶道に熱心に取り組んでいました。

 茶筅塚(ちゃせんづか)は岡田武彦先生の『崇物論(すうぶつろん)-日本的思考-』にあります、「物と人に畏敬の念を持つ」共生の心を大切にする日本人の心の表れです。魚塚、筆塚、針供養、人形供養などがあります。

姫路神社境内にある姫路藩主、酒井忠以の胸像と茶筅塚
姫路神社境内にある姫路藩主、酒井忠以の胸像と茶筅塚

 

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Guest
Jun 25
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姫路城の傍、青天のもと桜花に囲まれ鎮座している酒井忠以公の胸像と茶筅塚。素晴らしい景色と歴史が感じられます。それにしましても35歳で没されたとは惜しまれます。

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